「おらぁッ、やっちまえ!」

柄の悪い、まだ若い声が通りに響く。

この町も綺麗に整頓されているように見えて、暗くなると何処からかああいう連中が湧き出してくる。

会社帰りのグラハム・エーカーは眉をひそめた。

腕には自信が有るし、そんじょそこらのチンピラに数人囲まれても相手をのすこともできる。

だが、私はボランティアではないのだ。人の喧嘩に首を突っ込んで怪我をするなんて馬鹿馬鹿しい。

グラハムは騒ぎが多勢に無勢の一方的であるか、女性が暴行されるようなものでもない限り手を出さないことにしていた。

世の中には「余計なお世話」という言葉も有る。

いつものように細い路地を少しのぞいて立ち去ろうとしたのだが、

静かに息を飲んで歩みを止めた。



確かにそれは多勢に無勢だった。そして、一方的だった。

しかし、

逆だったのだ。



十人弱の風体の悪い若者に囲まれた、黒っぽい学生服に身を包んだ一人の小柄な人物。

明らかに不利なその状態に全く怯むことも無く、体格を生かして相手の懐に素早く入り込み、拳を撃つ。

薄暗い外灯に浮かび上がるその姿はまるで、優美な野性の獣のようだった。

しなやかに舞う手足、誰にも触れることを許さない気高い精神。

暗闇の中で彼が居るそこだけが別世界であるかのように錯覚した。

次々と敵の数を減らす彼の視線が一瞬自分に注がれた気がしたその時、完全にのびていると思っていた内の一人が背後から彼を羽交い締めにした。


気付いたら、

私は乱闘に加わっていた。





元々たいした奴らではなかったので、彼と私の二人であっという間に倒していった。

既に立っているのは私達だけだ。

途中参加した息も乱していないグラハムをほんの少し見つめた後、その横を通り過ぎて明るい大通りに向かう小さな背中。

一呼吸の間躊躇い、グラハムは彼を追った。

「待ちなさい」

声をかけられて振り向いたその顔は思っていたよりも若い。中学生ぐらいだろうか。

クセのある黒髪に目尻の釣り上がった大きな瞳。綺麗に整っているが、美形というよりかわいらしい。

だが、その眼差しには幼さなんて微塵も感じさせない強さが有った。

「…手を貸してくれたことには感謝する。」

意外に低い落ち着いた声音でそう言い残し、再び背を向けようとする彼に慌てて言い募るグラハム。

「待ちなさい。何処に行くんだ?」

このまま別れたら彼との縁は完全に絶たれてしまうだろう。

それは嫌だった。

何故か、


とても嫌だった。


なんだ?コイツ。

と言いたげな顔で彼は

「…家に帰る」

と口にした。

その顔に柔らかく微笑みながら、彼と繋がる細い糸を垂らした。

「夜道の一人歩きは危ない。よかったら私に家まで送らせてくれないか」

彼との別離を少しだけ延ばす、卑怯な糸。ただの親切心ではないことを最もよく分かっているのは他でもない、自分自身だった。

突然の申し出にキョトン、とした顔にはやっと年相応の幼さがかいま見えた。

「私の名はグラハム・エーカー。君は?」

この、細い細い糸を拒絶されたら再び会うことは叶わない、という確信が有った。きっと、この子は私になんて見向きもしないで去って行くだろう。

表には出さないが、私の中にはどこか、祈るような気持ちが存在していた。

あぁ、どうか…



彼は少し躊躇った後、ゆっくりと口を開いた。



「刹那・F・セイエイ」



その少年、刹那は糸の端に慎重に触れた。








これが、私と刹那の出会い。

この時はまだ刹那も、そして私自身も二人の関係が特別なものに成るなんて、知るよしも無かった。

今思えば彼を見つけたあの時に、既に魅せられていたのだ。


刹那、という存在に。