あの3人と出逢ってから、1週 間が過ぎた。
アレルヤの予想通り、あれ以来一度もロックオンの家には行っておらず、彼の姿自体、この一週間で数回ちらりと見たきり だ。
刹那やティエリアのその後の様子が気にならないわけではない。…というか、気になってしょうがない。

ー ふと目に留ったその記事を読んだ日と、ロックオンと再び話すことになった日は偶然にも同じだった。
「アレルヤ!」
バ イトが終わり、スタッフルームへと帰ろうとしていた時、呼ばれて振り返ると後ろからロックオンが駆けて来たのだ。
「お久しぶりです」
「あぁ。 新聞読んだか?」
「読みました。やっぱり、あれ、刹那とティエリアの」
児童擁護施設に火をつけた放火犯が捕まっ たという記事だった。
病院からすぐ近くの施設だったので、もしかしたらと思っていたのだ。
「放火だったなんて なぁ。てっきり、タバコの不始末かなんかだと…ってそんなことは良いんだ。アレルヤ、お前今日うち来れないか?」
「え?」
突 然過ぎる申し出に、驚いて聞き返す。
「今日夜勤なんだよ。やっぱりちょっと心配でな。夕飯の支度はしてあるし、お前も泊まっていい ぞ」
「え、でも…」
いきなり言われても困る。
もちろん刹那やティエリアには会いたいと思う けれど、泊まるとなれば色々準備も要るし、大体僕の寝る場所なんてあるのだろうか?
「あぁ、悪い、いきなりじゃ無理だよな」
頭 をぽりぽりと掻いてロックオンが言った。
こくんと頷くと、じゃあ明日の朝一緒に御飯食べてやってくれないかと言う。
「明 日学校休みだろ?」
確かにそれはそうなのだが、どうしてそこまで家に来させたがるのだろう。
「実はあいつらがお 前に会いたがってて」
「僕に?どうして?」
見計らったような返答にどきりとしてしまって少し声が上ずった。
「ど うしてって…嬉しかったんだろ」
何が、と聞く前に彼は「じゃあ頼んだぞ」と言ってまた駆けて行ってしまった。
仕 事の途中に引き留めてしまった(声をかけてきたのは向こうなのだが)ことを少し申し訳なく思いながら、ぽつんと残された廊下でひとり、首を傾げる。
何 か嬉しがられるようなことをしただろうか?
アレルヤが刹那たちを気にするのは、彼らの境遇が自分と似た状況にあるからだ。
自 分だけに向けられる愛情というものを知らずに育ち…2人の性格からして、自ら愛情を求めるといったこともしたことがないだろう。
求め ず、与えられない状況で、自分の安心できる場所を手にすることが出来ないまま見知らぬ所に預けられる。
それがどれだけ不安なのかとい うことを、アレルヤはよく知っている。
もしかしたら、この間の料理はその不安を少しでも解消したのかもしれない。
料 理をして食事をすることによって、刹那とティエリアは居場所を作ったのだ。
与えられたことがなければ、与えられた時の受け取りかたを 知らない。
きっと、ティエリアは戸惑っていた。気を遣いすぎなのではとこの間は思ったが、たぶんそれだけではない。
当 り前のように与えられるものを、いつもと違う場所で受け取ることに戸惑っていたのだ。
それを受け取ることができる手伝いが出来ていた のかもしれないと思うとアレルヤはなんだか急に嬉しくなった。
(ーあ、そうか)
だから刹那たちも嬉しがってくれ ているのか。
全て仮定の話であるのにアレルヤは納得して、ロックオンの家に行くことを決めたのだった。







チャ イムを鳴らすとすぐにドアが開いて、ティエリアが顔を出した。
朝、と言われても何時に行けばいいのかよく分からなかったので自分が朝 食を食べる時間より少し早めに来た。
休日だしもしかするとまだ寝ているかもしれないと思ったが、もう起きていたようだ。
「お はよう」
「…おはよう、ございます」
あれ、と思う。
きちんと着替えも済んでいたティエリア は見た目は前に会った時と特に変わったところはない。
ではなくて、あいさつをしながら少し目をそらしたのだ。
前 に会った時は人の顔をちゃんと見て話す子だと思った覚えがある。
どうしたんだろう、と思ってすぐに照れくさいのだと気づいた。
リ ビングに居た刹那もこちらの顔を見るたびぱっと下を向いたからだ。
「おはよう、刹那」
声をかけると小さく頷く。 次いで、小さく「おはよう」と返事が聞こえた。
「朝ごはん何にしようか?ロックオンから何か聞いてる?」
「…フ レンチトースト」
「フレンチトースト?」
「ーを、作ってやれって、ロックオンが」
「え?」
フ レンチトーストって牛乳と卵に浸して焼くんだっけ、と思いあぐねたところでティエリアがそう続けるから驚く。
ロックオンがしつこくう ちに来いと言っていた理由がわかった。2人にお礼をさせようというのだ。
「ちょっと待ってろ」
任せておけという ことらしい。
そう言うなら、とダイニングテーブルに座ったはいいが、いまいち落ち着かない。
…だって、まず卵が うまく割れてない。
殻を割ろうと何かにぶつける時の力加減を失敗すると、卵がその時点で割れてしまうことがある。
ま さにそれなのだ。力加減がわかっていない。
(ーていうか、ティエリアっていくつだっけ?)
この年齢になるまで全 くやらせなかったのか。ティエリアがこうなら、刹那もこうに違いない。
まったくなんて施設だと思いながら最初は我慢強く見ていたのだ が、フライパンに火が通る頃にはいてもたってもいられず、とうとう立ち上がってしまった。
なんというか、危なくて見てられない。
「ティ エリア、ありがとう。あとは僕が…」
言いかけた所で物凄い速さでティエリアが振り返った。
「…いい、俺がする」
頑 なに拒むだろうというのは予想がついていた。ティエリアの性格はもう大体わかっている。
いや、でもね、危ないんだよティエリア。
ど うしようかと考え始めたところで、いつのまにかキッチンの方へ来ていた刹那が言った。
「代わってもらえ、ティエリア」
「刹 那…」
「ティエリアが火傷や怪我をするのは嫌だ。それに…ここまでがんばった…と思う」
な?と刹那に見上げられ てアレルヤも慌ててこくこくと頷く。
なんとなく納得したらしいティエリアは(刹那の力は大きかった)持っていたフライ返しをアレルヤ に手渡した。
そしてその後は前回と同じである。両側から穴があくほど手元を見つめられてアレルヤはまたも照れくさいような気分になっ た。


「アレルヤは何でも出来るんだな」
出来上がったフレンチトースト を食べていた時、ティエリアがぽつりと言った。
「そうかな?」
「…アレルヤの母さんが教えてくれたのか?」
続 いた質問にアレルヤは少し驚いた。そういえば、アレルヤの境遇をティエリアたちに話したことはなかった。
「あぁ、それは違う。僕には 両親が居ないんだ。ティエリアたちと同じで、施設で育ったんだよ」
「そうか…なら、その施設の人たちはとても良い人たちだったのだ な」
アレルヤに家事全般を教えてくれたのは施設の職員たちである。
確かにそうかもしれないと笑って返したが、特 になんてことないティエリアの言葉の本当の意味を、アレルヤはまだ知らなかった。










チャ イムが鳴ったのは午前10時を少し回った時である。
アレルヤは昼になる前に一度家に帰るつもりでいた。空いている時間に看護の勉強で もしようかと思っていたからだ。
ところが、そうはいかなくなったのである。
「……けいさつ?」
扉 を開けた先に居た男に言われた言葉を繰り返す。
その男はアレルヤの前に警察手帳をつきつけて、刑事だと名乗った。
髪 はボサボサで無精ひげを生やし、よれよれのスーツを着た、どう見ても胡散臭そうな男である。
アレルヤが怪しんでいると、その胡散臭そ うな男は胡散臭そうな笑顔を向けて言った。
「先日の児童養護施設放火の件で、ティエリア・アーデ君にお聞きしたいことがありまして」
「… ティエリアに?」
「ご在宅ですかな?」
「……居ません」
咄嗟に吐いた嘘だった。嫌な予感が したのだ。あぁ、でもこれでティエリアが何かの犯罪者だった場合、匿った側も罪に問われるんだっけ。
僅かな罪悪感を感じながらも、な ぜだかこの男からティエリアを守らなければいけない気がした。よくない事が起こると自分の中のどこかが警報を鳴らしていたのだ。
「…… そうですか。では、また改めて」
「あの」
「何か?」
「あの…ティエリアが、何かしたんで しょうか…?」
「…いえ、本当に聞きたいことがあっただけです」
では、と男はまた胡散臭そうな笑みを浮かべて 去って行った。エレベーターに乗り込み姿が消えたところでほっと息をつく。
汗がじっとり滲んでいる。施設にいたころは問題児が多く、 警察と聞くとその問題児たちを怒鳴り散らす存在だった。その影響かもしれない。
(なんなんだろう、あの人)
あの 施設全体の話なら、どうして刹那ではなくティエリアだけなんだろう。放火の事件とティエリア自身が何か関係あるのだろうか?
嫌なこと じゃなければいい。悪いことじゃなければ。
アレルヤはそう思ったがしかし、その願いは裏切られることとなる。


容 疑者再逮捕の記事をアレルヤが目にするのは3日後のことだった。




















ティ エリアが目の前に座っている。ロックオンがなにやら怒ったような顔をして隣に座っている。
空気は張り詰めているのにティエリアはいつ もと全く変わらない。
隣から感じるピリピリとした雰囲気の中で何をどのように切り出せばよいのか、アレルヤは心底悩んでいた。
「話 があるからうちに来い」とロックオンから連絡があったのは昨晩のことだった。その声が神妙であったのでアレルヤは自分の予感が当たってしまったことを知っ たのである。
平日なのでもちろん学校はあったがアレルヤはロックオンの方を優先させた。学校の授業は、クリスにでもノートを取っても らえばいい。
それよりもこっちのほうが大切だ。これまでのティエリアたちとの関わりから、彼らの居た所がろくでもないところなのでは ないかと考えていたのがその日の新聞を読んで確信に変わった。
建物に火をつけたのは2カ月ほど前にそこを辞めた人物であったらしい。 どうして自分が親代わりになって育てていたこどもの寝ている所に火を放ったのか。
放火犯の男は逮捕時錯乱していたらしく放火を認めて はいるものも動機を尋ねると意味不明なことばを羅列していたそうだ。はじめに読んだ記事にはそこまでのことしか書かれていなかった。
と ころがそれから5日後ー昨日だー取調が進む中で男の犯した新たな罪が発覚した。
『養護されている少年に性的接触』
そ れを読んだとき、真っ先に先日の刑事の顔が頭に浮かんだ。刹那ではなく、ティエリアだけを訪ねてきたあの男。
聞きたいことがあるだけ だと言っていたその刑事は間違いなく、あの時真相を掴むべく「それらしい」少年を訪ねて回っていたのだ。
その少年がティエリアだとい う証拠はどこにもない。
けれどあの刑事が訪ねてきたのが3日前。あの後仕事から帰ってきたロックオンにその事を伝えると、明日にでも 警察へ行ってみると言っていた。
言っていた通り次の日に警察署へ行ったとして、1日のズレはあるが事件の発覚するタイミングとしては 決しておかしくはない。
まさか、と思っていたところにロックオンからの電話である。そして来てみると刹那はおらず、今の状況となっ た。
「ー2人とも」
しんとした状況で口火をきったのはティエリアだった。
「仕事と学校を休 ませて悪かった。…どうしても刹那には聞かれたくない」
「…うん」
深刻な表情に相槌をうつことしかできない。も しかしてもしかしてという気持ちがつのる。
そして悲しいかな、あってほしくなかった言葉が発せられた。
「…あの 記事に書いてあった"少年"とは俺のことだ」
「……」
その後ティエリアは男が火をつけた動機について記事の内容 が正しいと言った。
放火犯は2ヶ月前に辞めて行た男だったのだが、事件当日の昼間、学校からの帰り道にティエリアと偶然再会したそう だ。
…本当に偶然かどうかはわからないが、とにかくそこでティエリアに自分に付いて来るよう促したらしい。
とこ ろが幸いその時同じ施設にいた子供が2人を見つけて声をかけてきた。
その子どもと男が話している隙を狙ってティエリアは逃げてきたそ うなのだ。そしてティエリアに逃げられたことに逆上した男がその日の晩火をつけた。
なんてやつだと思う。付いて行っていたらティエリ アはどうなっていただろう。
けれど、あの記事が本当だとしたらそれ以前からティエリアは被害にあっていたことになる。むしろ、被害に あっていたから隙を見て逃げ出したのだろう。
自分が「少年」だと言った後でもティエリアの表情はあまり変わりはしなかった。まるで他 人のことのように淡々と話し続ける様子に胸がしめつけられた。
…ずっと感情を押し殺してきたのだ。
「…こんなこ とを聞くのは酷かもしれないが、どうして自分が被害にあってるということを誰かに言わなかったんだ?」
ロックオンが尋ねる。ティエリ アは俯いて、言えなかったのだと言った。
「なぜ?」
「…初めてあんな事をされたのは10歳の時だ。知識がなかっ たし、最初は何が起こったのかわからなかった。
嫌だったし気持ち悪かったし怖かったけれど、昼間に見るあいつは優しくて皆からも好 かれていたから、他の誰にも言えなかった」
「……10歳だって?」
ロックオンが呟くように言った。アレルヤもも ちろん驚いた。3年間も被害にあっていたというのか。
「俺はいてはいけない子なのだと思った。嫌われているから、居ても邪魔なだけだ からあんな扱いをされるのだと思った。
……あいつのしていることがいけないことなんじゃないかと気づいたのは最近だ」
最 後吐き捨てるようにティエリアは言った。本当になんてやつだろう。ティエリアが人との接触を避けていた本当の理由がわかった。
「今 だってわからない。やっとあいつが居なくなったと思ったのに火をつけられた。そんなに憎まれているなら死んでやった方が良かったんじゃないか?
俺は生きていていいのか?あんな……あんな思いをしてまで、」
俯いているティエリアの声が震えた。残酷すぎる告白になんと 声をかけれ ば良いのかもわからない。
肩も少し震えているティエリアは今泣いているのだろうか。いや、泣いていないに違いない。正確には泣けない のだ。今までだってこうやって一人で耐えていたのだろうから。
次に顔をあげたティエリアはやはり泣いてなどいなかった。眼は赤いけれ ど泣いてはいない。泣きそうな顔。
「…恐らく刹那はこのことを知っている。だが、俺の口から言って刹那に負担をかけたくなかった。… こんな重いことを言っても、刹那には抱えきれないだろう」
そんな悲しい顔でティエリアは続けた。まっすぐこちらを見て。
「だ が、2人には言っておこうと思った。あんな記事が出て隠し通せるわけがないと思ったのもあるがそれだけじゃない。聞いてほしかったんだ。
俺は今まで両親以外に自分にここまで一生懸命になってくれる人に出会ったことがなかった。突然やって来られて迷惑だろうにいろいろと世話を焼い てくれて嬉 しかった」
そう言われてなんだか心がじわっと温かくなるのを感じた。同時に鼻の奥がつーんとしてきてまずいと思う。
本 当に泣きたいのはティエリアのはずなのに、自分がこんなにめそめそしてどうするんだ。
そう自分を叱咤して、アレルヤはティエリアを正 面から見つめた。
「今の話を聞いて不快な思いをさせてしまったのならすまない。だけどできれば今後も今までと変わらずに接してほし い。あと2週間、よろしくお願いします」
ぺこんと頭を下げてティエリアはそう締めくくった。
上げた顔はいつもと 同じだったのでほっとする。
「あぁ、もちろんだ」
なあアレルヤ、とロックオンに投げかけられたので慌てて首を縦 に振る。
「うん。僕もたまに手伝いにくるよ。その…迷惑じゃなければだけど」
横目でちらりとロックオンを見ると 「当たり前だろう!」という声が返ってきた。
その声はさっきみたいなぴりぴりした感じじゃない。その事にもほっとして、アレルヤは思 わず笑顔になった。







そ うして、2週間の半同居生活が始まったのである。