電話が鳴ったのは、待ち合わせのレストランに入って一時 間ほどしか経っていない時だった。
画面を見て顔をしかめたグラハムを見れば、誰から掛かってきたかなんてすぐに判る。
恐 らく仕事の電話だ。
ただでさえあまり会えないのに、その中でも度々どちらかの仕事先から電話が掛かってくることがあった。
そ うなれば、たとえ数ヶ月ぶりであろうとも、仕事に戻らなくてはならない。
お互い多忙を極めるから、それは仕方のないことだとわかって はいるけれど。
「すまない、刹那」
一言断って、グラハムが席を立った。
電話に出ながら店の 外へ出る。窓際の席から、グラハムが顔をしかめたまま誰かと話している様子が見えた。
最後に、口が「わかりました」と動いて、あぁや はりと落胆する。
今日はもうこれでおしまいか。まだ、食事しかしてないのに。
これからどこかへ向かう予定があっ たわけではない。
けれどきっとグラハムは何か考えていたのだと思う。
まだ昼間だから、グラハムの家に連れて行か れていきなり、ということはなかっただろう。
今までデートらしいデートもしたことがない。
普通の恋人たちとは少 し違うから、あまり目立つようなことはできなかったけれど、
少しくらい、それらしいものをしてみたいという欲求がないわけではないの だ。
「…刹那」
戻ってきたグラハムがさっきと同じ、向かいの席に座った。
眉が下がってい る。困ったような表情だ。
言いにくそうに、視線を泳がせているので、こちらから口を開いた。
「戻らないといけな いのか?」
「…あぁ。すまない、すぐに帰らなくてはいけないんだ」
「なら、早く行け。…俺のことは、気にしなく ていいから」
「怒っている…な。当たり前か。本当にすまない」
「仕事なら仕方ないだろう。それに…」
怒っ ている、とは少し違う。
しいていえば、彼の職場に対して怒っているのであって、グラハムに対して怒ってなどいない。
言っ たように仕事なら仕方がないと思うし、次は自分が彼を置いて仕事に戻ることがあるかもしれないからだ。
ただ、悲しいし、さみしい。
埋 め合わせは今度に、なんて言ったところで次に会えるのはいつかわからない。
もしかしたら二度と会えないかもしれない。お互い、命を懸 けた仕事なのだ。
そこまで考えたら胸がうわっと熱くなった。
「それに?」
かばんを持って立 ち上がったグラハムが小首をかしげている。
「それに…」
続く言葉が見つからない。
代わりに 立ち上がって抱きついた。
少しよろめきながらもしっかりと受け止めたグラハムは、戸惑っているようだ。
当たり前 だろう。昼間から、公衆の面前で抱きついたことなど、今までただの一度もない。
だけどどうしてもそうせずにはいられなかった。体温を 少しでも感じたかった。
「…刹那」
あやすように背中をぽんぽんと撫でられる。
はたから見れ ば、子供が大人に甘えたように見えることがせめてもの救いだと思い、腕にぎゅっと力を込めた。
背中を撫でていた手が頭を抱え込む。息 を吸うと、グラハムの匂いがした。
ーいやだ。
声に出さずに強く思う。
行かないでほしい。次 はもうないかもしれないのに。
「刹那」
そんな願いが叶うわけもなく、もう一度名前を呼ばれてようやく身体を離し た。
きっと顔には「行かないでくれ」と書いてある。
それを読み取ったグラハムが困ったように微笑んだ。
そ して再び手を伸ばし、前髪に触れられたかと思うと、額に暖かな感触。
ちゅ、という音が聞こえて、額にキスされたのだと気づいた。
恥 ずかしい。昼間から、こんな所で何を。
自分がさっきしたことを棚に上げてそんなことを思いながら目をぱちぱちと瞬かせた。
さっ きとは違う風に、グラハムが笑う。
「7時には片付くと思うんだ」
なんのことだかすぐには判らなかった。
「駅 で待ち合わせよう。…来れるかな?」
そう言われて話の内容をようやく理解して、不必要なくらいこくこくと頷く。
じゃ あまたあとで、と言ってグラハムが去っても動くことが出来ない。
手で額を押さえながら、さっき感じた不安がいつの間にか消えていたこ とに気づいた。