そして、ずっと。 飾 り気のない無機質な音が鳴った端末をさりげなく拾い上げて驚愕した。 受信された1通のメッセージ。 そのアドレス を見るのは実に1年ぶりだったからだ。 1年前は、…そう、こちらからメッセージを送ったのだ。 彼の真意を確かめ るために。 5年前、愛した人が敵だと知り、全て嘘なのだと知った時。 急 に憎い思いが体中に溢れかえり、友の仇を討たねばならない使命感に駆られた。 刃を交え共に宇宙に散った後も、気がかりでならなかっ た。 あれだけの損傷を受けながら生き残った自分。彼もどこかで生きているのかもしれないと。 メッセージを送るま での4年間、私は非常に苦しんだ。 生きているのだとしたら。 見過ごしておくわけにはいかない。ユニオンの軍人で ある私を卑怯な手段で騙し何人もの友人の命を奪った彼をこの手で。 ………この手で、どうしたいのだろうか、と。 優 しい気持ちで、幾度となく触れたこの手で。愛し合っていたひとを。−そう、愛し合っていたのだ。 彼の眼に嘘はなかったように見えた。 結果、嘘だったとわかっても。 せめて一時でも愛してくれたことがあったのだろうか。 くだらない、なんてくだらな い事なのだろうと思いながらも、その疑問は頭から離れることがなく。 そっけないメールを送ったのが1年前のことだった。 だ が、実際会ってみるとそんなことは訊けるはずもなかった。 怖かったのだ。もし、ノーと言われたら。 だから彼を悪 者にすることで、痛めつけることで、未だ引きずる彼への想いを、憎しみを、断ち切ろうとしたのだ。 しかし、それは間違いだったのだと 気づく。 手酷く彼を暴き、無理やり繋がり揺さぶった後。 もうほとんど意識のないであろう彼から呟かれた言葉に、 胸が震えた。 ー刹那。 そしてその瞬間強く思ったのだ。彼を、愛してい る、と。 指定された場所 は、行ったことのない田舎町だった。 何かの意図があってそこを選んだのか、もしくはたまたま彼がその町にいるのか、私には分からな い。 だが、ともかく行ってみようと思った。 メッセージを疑わなかったと言えば嘘になる。この1年の間にだって数 々の激しい戦闘があった。彼が今回も生き残っているのか、定かではない。 本当に彼が出したメッセージか、私には確かめる術がないの だ。 それでも、もし彼が生きている可能性があるのなら。 もう一度会うことができるのなら。それは私にとって大い に意味のあることのような気がした。 指定されたポイントに近づき、自分が緊張していることが分かる。 彼が指定し たのはその町にある公園だった。 どうしても1年前のことが思い出される。場所こそ此処と遠く離れているが、私が1年前、彼を呼びだし たのも公園だった。 あの時は夜だったけれど。 休日の昼間に、遊んでいる子どもたちの笑い声がどこか遠い。 今 日は、銃などの武器はもってきていない。警戒して一度は用意したが、結局、そんなものは必要ないと判断した。 こんな昼間に公共の場で 発砲するわけにはいかないし、なにより愛する人と会うのに、どうして銃が必要なのだ、と。 騙されていたなら、それまでだ。気楽な気持 ちでいけばいい。 しかしそれでも、物陰から黒い頭が見えると、足がすくんだ。 ―彼は来ている。間違いなく。すぐ そこにいる。 彼はあたりを警戒する様子もなく、ベンチに1人で腰かけている。 あぁ、そういえば、1年前もそう だった。彼は公園のベンチに、1人で座っていた。 「………せつな」 後ろから小さな声で呼びかけると、黒い頭が動 いてこちらを向いた。 私の大好きな、赤い瞳がそこにあった。1年前と比べて、また一段と大人になったような気がする。初めて会ったと きと比べると、なんと成長したことか。 当時16歳だった彼は非常に可愛らしい容姿をしていた。その可愛らしい容姿も好きだったが、私 が何より強く惹かれたのはその眼だった。 強い意志を持っている、揺るぎない人物だということは、その眼の色から分かった。 1 年前再会した時には、その色はかつてよりずっと深くなっていた。すっかり大人になった今でも、その眼の色は変わらない。 しかし、違う のは。振り向いたその顔が一年前とまるで違う、穏やかなものであることだ。私の緊張を解きほぐすほどの。 「生きていたんだな……グラ ハム」 「当たり前だ」 何を失礼な、と言いたくなるような第一声だ。 しかし彼がそう言いたく なるのもわかる。何せ、私は彼との対戦で、見事に敗北しているのだ。 「あの時、止めを刺さなかった君が悪い。またもや、執念深く生き 残ってしまった」 「ーそうか」 彼は相槌を打って、どこか遠くを見つめた。 敗北した時、どれ ほど強く命を断とうと思ったかしれない。しかし、同じくらい強く彼の言葉が思い出されて、できなかった。 それほどまでに、私は彼に狂 わされた。己の意思さえ貫けぬほどに。 「……グラハム」 ふいに、どこかを見ていた彼が視線を戻した。かと思え ば、予想だにしないことを口にした。 「逢わせたい男がいる。一緒に来てくれるな?」 彼 の車で連れていかれたのは、人気のない、寂しげな場所だった。 目の前には数えきれないほど沢山の石があり、それぞれに見知らぬ人の名 前が彫られている。 その石のかたちが見慣れないものなのはそれがケルト十字であるからで、改めてこの国がアイルランドなのだと言うこ とを感じた。 墓標を両脇に見ながら迷わずまっすぐ進む彼の後を追いながら、彼の逢わせたい男というのはもうこの世界には居ない人物な のだということを知る。 「…ここだ」 彼が立ち止まった場所にある石に彫られた名前は、やはり見覚えのないもの だった。 ニール・ディランディ。 刹那は中東の出身だから、身内というわけではないだろう。 な らば、友人か。共に戦った仲間か。それが正解だろうが、彼はなぜこんな所に私をつれてきたのだろう。 懺悔でもさせようというのか。し かしそんなものはお互い様だ。私とて、何人もの仲間を失っている。…彼の手によって。 仮にこの場所に眠る男を殺めたのが私だとして、 彼にそれを責められる理由はどこにもない。 「ここにあんたを連れてきたのは、この男に謝ってもらいたかったからじゃない。この男を殺 したのはあんたじゃないし、第一そんなことをしても何の意味もない」 「…では、なぜ」 「あんたに訊きたいことが あったからだ」 呼び出したのもその為だ、といって彼はこちらを真っ直ぐ見た。 揺るぎのない深紅の眼に射抜かれ る。 「これからどうするつもりだ?グラハム・エーカー」 「………」 「戦 いは終わった。この世界に、あんたの生きる場所はあるのか?」 質問には答えずに、私は彼の眼からその質問の意図を読み取ろうとした。 戦 うことしか知らない私の身を案じているのか。生きる場所はないだろうという同情か。はたまた、同じく生きる場所を失った少年からの死の誘いか。 し かし、どれも違う気がした。 「…それに答えて、どうなるというのかな?少年」 戦場での呼び名を口にすると、刹那 は言葉を詰まらせた。その眼が逸らされ、傍らの墓石へと移された。 「……この男は、テロで家族を失い、その仇を討つ途中で命を落とし た」 刹那が視線を墓標に注いだまま話し始めたが、興味深い話ではなかった。 自分の仇に殺される。戦いの中ではよ くある話だ。結局その相手は超えられなかったということ。 「俺はこの男が、あんたに似てると思ったんだ」 彼の 言っていることがさっぱりわからなかった。 私には失った家族もいない。仇は、あえて言えば目の前にいる彼くらいのもので、しかし彼を 討つつもりは全くもってない。 「きっとこの男は仇を討ったところで、この世界で生きることは望まなかっただろう。きっとそのまま、死 を選んだはずだ」 「……話が読めないな」 「復讐だ宿命だなどど言っておきながら、結局は死にたがっていた。この 男も、あんたも」 「………」 「今もだ。あんたは、死ぬ理由を探している。違うか?グラハム」 ま た、その眼に射抜かれた。 これからどうするのか。正直なところ、それは私にも分からなかった。 彼から貰った命を 無駄にするわけにはいかないと、それだけの気持ちで今日まで来たのだ。それ以外の生きる意味など、私の中にとうに残されてはいなかった。 的 を得ていたのだ。今、彼が言ったことは。 最初から、刹那を殺すつもりなど微塵もなかった。けれど、彼になら殺されても良いと思った。 いや、むしろ殺されることを願っていたのだ。あの時、対峙した時点で。 宿命の相手を殺したところでその先に喜びなど待ってはいない。 待っているのは、愛する人を手に掛けてしまった、苦しみのみ。 それならいっそ、死んでしまった方が楽になるのではないかと。 「…… ならば、何か、その解決策があるのかな?」 「俺と一緒に生きてほしい」 「ー刹那…」 あまり の直球に、言葉を失った。 「俺はあんたの全てが欲しかった。いっそ殺してしまえば、永遠にあんたを自分のものに出来るとさえ思った。 だが、それは間違っていた。あんたが生きていないと意味がない」 「………しかし……私は、君に…」 あんなに酷い ことをしたというのに。 本当なら、逢うことすら憚られるのだ。 戸惑いながら言葉を選んでいると、刹那は小さく微 笑んだ。 「あの時のことならもう良い。誤るくらいなら、あの言葉が欲しい。手紙の最後に書いてあった」 ー手紙。 それがあの時私が彼に残したもののことであることは明白で、その時の最後の行に書いたことは、忘れるはずもない。 彼を傷つけてしまっ た罪悪感に駆られながら、それでもペンを走らせずにいられなかった。 その一言で許してもらおうなどとは思っていなかったが、せめて、 自分の気持ちだけは彼に知っておいてほしかった。今更ではあったけれども。 しかし、本当にこの一言で許されるものなのだろうか? 「…………」 「あ んたが、俺と共に生きたいと思うなら、言ってほしい。それ以外はもう何も要らない。一緒に居てくれるだけでいい」 戸惑う私に、刹那は もう一度強く言った。 心身ともに傷ついたろうに、なんと寛大なことか。 それに比べて私は、11も年下の彼に気押 されて、なんとも情けない。 出逢った頃は、私が彼を支えてやらねばという気持ちで一杯だったが、そんな気持ちはもう必要ないほど、彼 は成長していた。 むしろ、彼を頼ってしまいたい自分がそこにいた。 自分一人ではもう立っている意味を見つけられ ない。彼がいなければ、この先もうどうしようもない。 …刹那がいなければ。 「………愛して いる」 声が震えた。刹那の姿が滲む。あぁ、もうだめだ。 縋りつきたい気持ちをなんとか堪え て彼を強く抱きしめた。すぐに抱きしめ返される。腕の中で刹那が「ありがとう」と呟いた。 「ありがとう、グラハム。…愛してる」 背 中を優しく摩られる。慰められている。まだほんの小さな少年だった彼に。 こんなことだって多分、昔の刹那ならしなかった。敢えてしな かったのではない。知らなかったのだ、傷つく者の癒し方を。 いつの間にか知ったのだな、と言うと、彼は否定した。 ー あんたが、教えてくれたんだ。 しばらくそうして抱き合ったあと、よう やく体を離すと、どちらからともなく笑みがこぼれた。 「……彼に、見られてしまったな」 「彼?」 「ニー ル・ディランディ」 視線を墓標に向けると、刹那は苦笑して同じように墓標を見た。 「…いや、実を言うと、見せよ うと思っていた」 これもまた、予想外のことだ。 そう言えば最初に逢わせたい男が居ると言っていたが、それは彼と 私が似ているという話をする為だとばかり思っていたのだ。 きょとんとした顔で刹那を見る。 その視線に気づくと、 刹那は再び話し始めた。 「この男にはとてもよく世話を焼かれた。たぶんそういうことが好きだったんだ。食べ物の好みまでうるさくいわ れて、鬱陶しいくらいだった」 「……君は、彼のことが好きだったのだね」 そう言いつつも、きっと嫌ではなかった のだろう。自分と同じように、彼もまた良い仲間に囲まれていたのだと柔らかな気持ちになる。 「あぁ。彼は皆に好かれていたからな」 「………」 「ー どうかしたか?」 しかしこうもあっさりと肯定されるといい気分ではない。 うまくかわしたなと言って腰を引き寄せ ると、刹那は何を言っているんだと言って笑った。 「紹介しておきたかったんだ。あんたを」 「彼に?」 「そ うだ。…俺はグラハムと生きるから、心配せずそっちで楽しんでくれ」 赤い瞳が私を捕らえた。 そうだ、これからは 彼と生きていくのだ。その眼を見つめながら。 「行こう、グラハム」 刹那が私の手を引いた。もと来た道を歩き始め る。 私たちは、これからどこへ行くのだろう。どうやって生きていくのだろう。 何 一つ分からない、手探りの状態。それでも良いと思えるのは、彼と共に歩む道だからだ。 出逢ってから5年。ようやく望んだ未来がすぐ側 に待っていた。 たとえこの先、全てを手放さねばならなくなったとしても、 こ の手は、互いを握って離さないから。
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