「あ〜疲れた」
「お帰り、グラハム」
ネクタイを緩めつつソファーに身を沈めるグラハムは心底疲れきった様子だ。
今日、彼は上官の娘の誕生日パーティに出席していた。
ああいうかしこまった場面では体力的な疲労よりも気疲れの方が大きい。それはいかにもパーティ慣れしていそうなグラハムにも言えるらしい。
年下の自分にもこういう弱った部分を曝け出すことができる点で彼はやはり大人だ。
ありのままの自分を見せることは実はとても難しいから。
ー俺はグラハムに多くの隠し事をしている。
こんなにも近くなってしまった存在に話せない事。
機密事項だから。
いや、違うな。
「刹那は誕生日いつだい?」
「え、」
考えに没頭していてふいの質問に表情が繕えなかった。
そこから何かを察したグラハムが眉をひそめた。
ソファーから立ち上がり、長いコンパスでこちらに歩み寄って来た。
「…刹那?」
「…」
「何か、隠してるな?」
質問ではなく、確認。
こういう、素早く的確な判断力も大人だ。
「…別に何も」
「刹那」
身長差を充分に生かしたグラハムが少し厳しさを込めて名を呼ぶ。
たぶん今の自分は情けない顔をしているだろう。
ー言うつもりは無かった。
だが、どこかで、知って欲しい気持ちも有ったのかもしれない。
でなければ、地球を半周してわざわざ家に帰るはずがない。グラハムが帰って来る家に。『この日』に間に合うように。
グラハムも分かっているのだろう。
普段、彼は俺が本当に言えないと分かるとそれ以上は問い詰めて来ない。
だが今回は俺の正面に立ってこちらが口を開くのを無言の圧力をかけつつ待っている。
…この人は俺の深層心理まで見抜くのか。
「…グラハムには、かなわない」
「私も刹那にはかなわないよ」
「?」
「そんな目で見られたら、あることないこと言わせたくなる」
「…?」
そんな目ってどんな目だ?と首をかしげると、いとおしげな瞳で柔らかく微笑む。
時々、彼の口から紡がれる俺には難解な突拍子も無い言葉がグラハムがグラハムたる所以なのだろう。
表面上は冷静に見えても、一皮剥けば子供のような好奇心と熱意が溢れている。ふとした瞬間に垣間見る熱さを知った時には既に俺達の関係は他の誰よりも深くなっていた。
たくましい両腕が伸ばされ、抱き寄せられた。
一気に近くなった距離で美しい弧を描く唇が動く。
「刹那、教えなさい」
即席の檻の中、甘い尋問はそれだけ。
閉じ込められる前にもう陥落。
隠すつもりはとっくに無い。
「今日だ」
「え?」
「誕生日。」
グラハムの顔が疑問から納得、驚きへと目まぐるしく変化する工程は面白かった。
「今日!?」
「あぁ」
「何故言ってくれないんだ!」
「…聞かれなかった」
「だが!」
「それに、上官主催のパーティだから断れない、と言っていた」
「…」
「ならば気を使わせたくなかった」
「………私達は恋人同士だよな」
「そうだな」
今さらなんだ?
「…恋人なら、相手の誕生日は何より優先すべきイベントなのだよ」
「そうなのか?」
初めて知った。
世の中はまだまだ未知の事柄に溢れている。
「あああ〜私としたことが!刹那がこういう事に疎いのはよく知っていたのにっ」
疎いとはなんだ。一般常識ぐらいは身につけている。
「こんなことならもっと早く帰ってこればよかった!何も知らず参加者に愛想笑いをしていた過去の自分が憎い!おのれ!その時間を返せ!」
落ち着け。流石にそれは無理だろ。
「しまった!プレゼントも全く用意していないぞ!今から買いに行くか!?」
「その必要は無い」
いささか混乱気味だったグラハムが口をつむぐ。放っておけばこのまま店へ直行しそうだ。この男ならやりかねない。だが、もうほとんどの店舗は閉まっている時刻だ。叩き起こされる店主が哀れだ。
それに、
「物より、あんたがいい」
「え、」
「今日、会えるだけで嬉しい…」
俺は戦場を駆ける者。明日にも息が止まる日がやって来るかもしれない。死ぬまではいかなくとも、こうやってグラハムと共に居られなくなるかも。
だからこそ、任務が入ることもなく『今日』グラハムに会えただけで。
目を大きく見開き、徐々に赤くなる彼を見ていると、何だかとても恥ずかしい言葉を口走った気がして顔をふせた。
言わなきゃよかった…?
「刹那、」
俺に回された腕に力がこもり、強く強く抱きしめられた。
背がしなり、自然と吐息がもれる。
開いた唇がグラハムのそれでふさがれた。
あわさった瞬間に深く求めてくる。
「っ、…んぅ」
口内余す所無く嘗め回され舌を吸い出される。
俺は溢れてくる唾液を飲み下したり呼吸を確保するだけで必死で、崩れ落ちないようにグラハムにしがみ付く。
「は、ぁ…グラハム…」
やっと離れた唇は飲みきれずに伝う液体の道筋をなぞった。
鎖骨の辺りからゆっくり戻って来たそれは、優しいキスを落とし、ささやいた。
「誕生日おめでとう…刹那」
今日の秘密は明かされた。
グラハムは俺の全ての秘密を知った時、それでも側に居てくれるのだろうか。
彼が俺に背を向ける姿を見たくない。
だから、
俺は、
話さない。
どうか
俺のわがままをきいて。
どうか
ずっと一緒に。
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