「苗植え?」
「うむ」
グラハムがまた変なことを言い出 した。
久しぶりの休日に家に居ることを望んだ彼は昼食を食べたあと特に何もすることがないとボヤく俺に「ならば家庭菜園でもしよう か」と言ってこの話題を持ちかけたのである。
「なんでそんなことしなきゃならないんだよ」
「特に何もすることが ないのだろう?ならばひと汗かこうじゃないか!私はね、君とするならば何だって楽しいのだよ、ニール」
う、と詰まってしまう一言だ。 ここ数年呼ばれたことのなかった名前を彼に教えたのはいったいなぜだったか。
そもそも、瀕死の傷を負って宇宙に投げ出された時点で俺 の人生は終わっていたのだ。
そこを運悪く(良く、というべきか?)通りかかったユニオン軍に拾われて、俺がガンダムのパイロットだと わかった途端にこの男は俺のことを「姫」と呼んだ。
放っておけば死ぬだろう俺を治療し、口が利けるようになったころ、問答するでもな く戦場に行って今度は自分が重傷を負って帰ってきた。
その頃俺は別の軍人から取り調べを受けていて本来ならそんな事を知るはずはな かったのだが、戻ってきたグラハムが俺を呼びつけたのだ。
行ってみれば彼の怪我はひどい状況だった。ありとあらゆる所に包帯が巻か れ、特に顔は見えている部分の方が少なく、更にその包帯にも赤が滲んでいた。
あまりの痛々しさに言葉が出ず、誰にやられたのかも忘れ てぽろぽろと涙を零した。
「綺麗な顔だったのにな」
ぽつりとつぶやくと、包帯の巻かれていない目が大きく見開い た。ぱちぱちと瞬いたかと思うと、小さく笑ったから不思議に思ったのだ。
「…君は全くもって面白い存在だね。分かるだろうが、これは 正真正銘ガンダムにやられた傷だ。
自分たちが落してきたMSに乗るパイロットたちがどうなったのか見せてやろうと思ったのだが…しか し、そうだね…」
そうして包帯に巻かれて白くなった腕を伸ばし俺の右目ー涙の出ていない方の目だーにそっと触れた。
「君 のこの目も大層美しい色をしていたろうにね…申し訳なかった、姫」
私たちが、こんな世界にしてしまったばっかりに。
続 けられる言葉に心を支えていた何かが折れたような気がした。
「…馬鹿じゃないのか。軍人が、そんなこと言っていいのかよ」
こ いつがの所為じゃない。こんな世界になったのも、俺のこの傷も。
それなのに申し訳なかったと言う。馬鹿じゃないかと思ったのは本当 だ。けれど。
「構わないさ。君だって、私の怪我に涙を流した」
この男を見る目がその時変わったのも事実だ。





彼 が怪我を負ったこの戦闘の後、ソレスタルビーイングは世間からはすぐに姿を消すことになる。
そして俺は…怪我が回復するのを待って、 まるで何事もなかったかのように解放されることとなった。
グラハムの働きかけがあった所為だ。



名 前を教えたのはその時である。
ユニオンの基地を出る日、グラハムが俺のところにやってきて、自分が引き取ると言い出したのだ。
「有 無は言わせないよ、姫。私が引き取るという条件で君を自由の身にしようということになったのだからね」
そんなことなら自由になんてな らなくて良いと言えば「有無は言わせないと言ったはずだ」とひょいと俺を抱えあげた。
「ちょっと、何やってんだあんた!下せって!」
「… やれやれ騒がしいお姫様だ」
「誰がだ!いい加減そう呼ぶのやめろよ!」
「ふむ、ではなんと呼べば良いのかな?」
「……」
嘘 ならいくらだって吐けたはずだ。本当のことを話してしまったのは、数か月の関わりで情が移ったのか、それともこの時点で「何か」が変わっていたのか。
「… ニールだ」
消え入りそうな小さな声を、驚いたことにこの男はきちんと掬い取ったのだった。
「ならば、これからは そう呼ばせてもらおう。愛しいニール」














「で は始めようか!」
高らかに発せられた声に振り向いて、噴き出してしまった。
ジャージのズボンの裾をまくり あげ、帽子を被って軍手をした姿はとてもじゃないがユニオンの軍人には見えない。はっきりいってちょっと不気味だ。
「全っ然にあって ねーぞ…」
「なんと?!」
家庭菜園といってもベランダである。そこまでやる必要があるのかどうかは別として、俺 はふと気になった。
「なぁグラハム、家庭菜園とか言っても、俺何にも知らないんだけど」
「何にも、とは?」
「ほ ら、色々あるだろ?プランターの大きさとか、土とか」
きょとんとした顔にまさか、と思う。
こいつ、俺以上に何に も知らないんじゃ…。
「…プランターとはなんのことだ?土なら公園にいくらでもあると思うが」
「お、まえ…どの 口が家庭菜園するって…!」
がっくりと肩を落とす俺と対照的にグラハムはハイテンションだ。つくづく期待を裏切らない男である。もち ろん、この場合は裏切ってほしかったのだが。
「いいじゃないか。わからなければ調べればすむ」
そう言って笑う彼 の本当の顔は見えない。結局、傷はきれいには治らなかった。
穏やかな日々を送りながらも、それでも彼を見るたびに自分の持っていた力 の大きさを思い知らされ、奪ってきたいくつもの命の重さに足がすくむ。
ソレスタルビーイングは確かに姿を消した。だがなくなってはい ない。やるべきことはまだあるはずなのだ。
呼ばれれば戻る覚悟はある。彼らの情報網のことだ、きっととっくに俺がここにいることはバ レているのだろう。

だけど、もう少し。もう少しだけ。











――― この幸せを手放したくないんだ、グラハム。