「危
険を伴うことは分かってるだろうな?」 切り出された言葉にライルは内心溜息をついた。ピロートークにしては甘さの欠片もない。 カ タロンへの情報伝達のためにソレスタルビーイングへ参加する。ライルがその結論をクラウスに伝えてからもうしばらく時間が経っていた。 そ して明日はいよいよここを発つ日なのだ。 これまでにいくらか繰り返されたこの会話をここでもする気なのかとうんざりする。最後の夜な のに。 ライルは枕元にあった煙草を取り出して火をつけた。クラウスが怒ったように顔をしかめた。彼がライルが煙草を吸うのを快く思っ ていないことは知っている。 これでも大分本数は減ってきたのだ。体に悪いことは重々承知しているが、セックスの後の一服はどうしても やめられなかった。 気だるい疲労感の中で、煙が肺だけでなく体中に充満していく気がする。たっぷり吸い込んだ煙を吐き出しながら、ラ イルは答えた。 「んなことわかってるよ。それに危険なのはここに居たって一緒のことだ。反政府組織には変わりないんだからな」 ど うせならもっと違うこと、例えば今更無理だけれども行かないでくれ、とかそういうことを言ってほしいとは思っても口には出せず、何回も繰り返してきた返事 をする。 「それはそうなのだが…」 「なんだよ、自分の手元に置いとかなきゃ俺が浮気するんじゃないかって?」 「い や、そうじゃない。そんなこと、考えたこともなかった」 それは信用されているのか、それともライルが浮気しようがしまいが関心がない のか。本当のことは知りたくないなと思いながらも、ライルは前者だと思うことにした。 「へーえ、そりゃあ嬉しいね。……じゃ、なんで そんな同じ事何回も聞くんだよ」 聞いたと同時にクラウスは顔をしかめた。先ほどのような怒っている、というのではなく、戸惑っている というかんじだ。困っているのかもしれない。 仲間の前では決して揺るがないその眼が一瞬ふらふらと宙を泳いだ。 「…… 釘をさしておかないと何をするか分からないからだ」 「目が泳いでるぜ、クラウス」 鋭く指摘すると彼は黙った。 たっぷり十秒は黙っていたと思う。しばらくして口を開いた彼は、「こんなことを言っても良いのか分からないが」と前置きした上で言った。 「… 実は、君が居なくなると思うと、少し寂しい」 「…ふーん?」 そっけない返事をしながらライルは煙草を持ち運び式 の灰皿に突っ込んだ。ようやく話す気になったか、というかんじだ。 真面目なクラウスは、カタロンの幹部という立場を強く自覚してい る。 ライルとこうしていても甘い雰囲気になるということなどめったになく、こいつは本当に俺の恋人なのだろうかと思うことも少なくな い。俺は上司とセックスしてるわけじゃないんだ、と怒ったこともある。 だがしかしクラウスはその怒りの意味がよく分からなかったよう で、それからも2人で居る時の雰囲気が変わることはなく、その内にライルも諦めたのだが。 ようやく最近になって、クラウスの中でライ ルの存在が変わってきたように思う。カタロンの構成員の数も増えて、今までとは比べ物にならないほどの部下と関わることが多くなったからかもしれない。 … 最も、彼はそれを自覚していないようであるが。 「君は、私と長い間友人で居た。私が今のような立場になる前から君とは色んな話をして きたし、遠くにいってしまうというのが寂しいんだ。 それから…ライル・ディランディの恋人として本心を言うと」 「う ん?」 「…本当は行かないでほしい。どちらに居ても危険だというのは、それは確かにそうだ。だが、君が私の傍にいれば、守ってやれる かもしれない。 もちろん君の腕が信用ならないということではない。そうではなく、つまり…私の知らないところで怪我をしたり、死ん でほしくないんだ」 「…クラウス」 内心望んでいた言葉であるのに、現実にそれを聞いてしまうと素直に頷けないこ とにライルは気付いた。 頷けば嘘になってしまうかもしれない。どんな小さなことでもクラウスに嘘を吐かないのはライルの信条のひとつ であったし、約束できないことはクラウスにも分かっている。 けれど心に沁みた。さっきの煙よりずっと深くに沈んでことんと落ちた。 「残 念だがそれは約束できない」 少し声が震えたのに気づいたクラウスは「分かっているさ」と言って少し肩をすくめた。 「あ んたの知らないところで死ぬかもしれない。でもそれは、ソレスタルビーイングのためでも、カタロンのためでもない」 あんたのためだ。 そう言い終わると同時に強く肩を抱き寄せられた。 「…ライル、そんなことを言わないでくれ」 「嘘じゃない」 ー 嘘じゃない、クラウス。 世界を変えたいと思ったのは、最初は家族のためだった。けれど今ではそれはただのきっかけにすぎない。いつの まにか変わっていた。クラウスの言う世界に魅せられていたのだ。 彼の望む世界を実現させたい。そのために死ぬのであれば構わない。自 分でも盲目的だなと思うが、それが自分のためでもあるとライルは本当にそう思っていた。 (…うわ) だとしても今 ものすごく恥ずかしいことを言ってしまった。今更羞恥心が芽生えたライルは何となく重い雰囲気を変えるためにもクラウスの腕から抜け出そうとした。 「ま、 大丈夫だよ。2度と会えないわけじゃないさ」 軽く締めくくって話を終えようとしたのに、いつもに増してがっちりと掴まれているのかび くともしない。 「…クラウス?」 少し不安になって呼びかけるとようやく腕がゆるんだ。顔を覗き込むと優しく微笑 んだクラウスと目があう。 「…少し感動した」 最近涙もろくていけない。そんなことを言うからつい盛大に噴き出し てしまった。 「もう年なんじゃねぇの」 「そうかもしれない」 あっさり認めておきながら降っ てきた口付けにはたっぷり色が込められている。 うそつけ、と思いながら必死で口を吸った。 「私はジーンが簡単に 死ぬような男ではないと思っている。すぐに会えることを信じている。けれど忘れないでくれ。自分はカタロンの構成員であるということを。 それから…ライルは私の恋人であるということも」 「…あぁ」 わかってるよ、と返事をするつもりで口づけを返し た。 明日の朝は遅い。もう一回くらいしても良いかなと思ったのに、先ほどと違い今度はあっさり離れる。 しないの かよ、と眼で訴えると、クラウスは小さく笑った。 「続きは今度に取っておこう」 その言葉に、ライルはすんなりと 納得して頷いた。今度、と言うことですぐに帰ってこいとほのめかしているのは分かった。ライルが、クラウスから離れていかないようにする策だということ も。 だからこそライルもそれで良いと思った。 自分はそう簡単に死なない。しっかりスパイ業務を果たしてやるつも りだし、クラウスから離れるつもりもない。彼に邪険にされたって一生ついて行くつもりだ。 きっとまたすぐ会える。続きはその時で良 い。 ー今夜は、最後の夜ではないのだ。
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