その日を知ったのは、部屋でテレビを見ていた時だった。
「ホワイトデー?なんだそれ」
隣でロックオンが独り言と取れなくもない様子でテレビに向かって喋った。
アレルヤ自身、その言葉を聞くのは初めてだった。
流れていたのはJNNの番組である。日本独特の習慣なのかもしれない。
度々、この番組は自分たちにはよく分からない習慣について特集を組んでいた。
正月の着物からはじまって桃の節句に端午の節句…文化の壁というのはなかなかに分厚い。
その番組で見た限り、どうもそのホワイトデーというのは男性から女性へ何かプレゼントを贈る日らしかった。
それはバレンタインデーの話ではないのかと思ったが、そもそも日本ではバレンタインデーとは女性から男性に何かを贈る日だそうだ。
要するに、バレンタインデーのお返し。
「面倒なことするよなぁ。どうせ返すなら、最初っからバレンタインデーに贈りあえばいいのに」
そうだね、と相槌を打って腰を上げた。
どっちにしろ自分にはあまり関係のない話だ。
「何か飲む?コーヒーか紅茶くらいしかないけど」
「あぁ、じゃあコーヒー…。…あ、アレルヤ」
「はい」
「コーヒー淹れて待っててくれ、すぐ戻る」
「え?」
言うなり立ち上がって、部屋を出て行ってしまった。
…どうしたのだろう。さっきまで、テレビに喋ってたのに。
すぐ戻る、と言っていたから、多分自分の部屋に戻っているんだと思う。
よく分からなかったが、とりあえず備え付けのコーヒーメーカーに手を伸ばした。
ロックオンが帰ってきたのはいいにおいが漂ってきた頃である。
彼は部屋に入ってくるとそのままカップの準備をしていたアレルヤのすぐ傍に立った。
「…本当にすぐですね。どうしたんですか?」
「アレルヤ、口開けてみな」
言われるがままに口を開けると、口の中に何かを放り込まれた。…甘い。
ふわふわとした感触のそれは
「…マシュマロ」
「うん。今さっきテレビでやっててさ、部屋にあったの思い出したから」
「テレビって、ホワイトデーの?」
「昔からの定番なんだって」
「へぇ」
マシュマロはすぐに、とろとろに溶けてなくなった。
もう一個、と彼が持っている袋に手を伸ばすと、その袋がひょいと逃げた。
「…もう一個ほしいか?」
袋を持つ手を高く上げたロックオンが問う。
身長差はないので自分も手を伸ばせば届く高さだが、彼は何かを企んでいるらしい。
「ほしいです」
乗ってやるつもりで答えた。
「じゃあお前もなんかくれ」
「え?」
「ホワイトデーってバレンタインデーのお返しをしてプラスマイナスゼロにするって日だろ。俺があげるばっかりじゃ、ゼロにはならないぜ」
…少し、解釈が違う気がする。なんだか無理やりすぎないか?
「あげられるものなんて何も持ってませんよ」
「ほんとにか?」
にやり、と悪そうな笑みを浮かべる。
普段は年長者らしく振舞っているくせに、たまにこうしてとことん性質が悪くなる。
自分にだけしか見せていないのだろうなと思うとアレルヤも悪い気はしないが、やはり困ったものであった。
こうなると、確実に彼の思うようにしなくてはならないのだ。
「…何がほしいんですか?」
「なんか、口に入れるもの」
「手に持ってるマシュマロなんてどうですか」
「馬鹿、お前からもらわないと意味ないだろ」
「そっか」
けれど、部屋に食べるものなど何もない。
食堂に行ったら何かあるのだろうが、それで彼の気が治まるようには思えなかった。
どうしようかとアレルヤが頭を捻っていると、ロックオンがぐっと距離を詰めてきた。
驚いて後ずさりすると背中が壁にあたった。どうしたのだろう、間近で見る顔は、心なしか怒っているようにも見える。
「…ロックオン?」
この短いやりとりの中で、自分は何か言ってはいけないようなことを言ってしまったのだろうか。
咄嗟にそう感じ思い返してみるものの、特に問題はなかった気がする。
「−気づけよ。俺は、口の中が寂しいって言ってるんだ」
「あぁ…」
なんだそういうこと。
理解すると同時に身体を抱き寄せてあっさりと距離を埋める。
引き寄せた時にバランスを崩したのか、ロックオンの手からマシュマロの袋が落ちる音が聞こえた。
きっと中身は散らばっている。
もったいないなと思ったのは一瞬だけで、意識はすぐに目の前の人物へと向かった。
「…アレルヤ」
長いキスの後に熱っぽい声で呼ばれてどきりとする。
「なんですか?」
「ずるいよ、お前」
「え?」
「……これじゃあ、プラスマイナスゼロにならねぇじゃん」
更にお返しだ、と言われて合わせられた唇を、もう一度深く味わった。